<私がなぜトリマーを目指し、トリマーになり、紆余曲折の末、開業という現在に至ったのかを振り返る、超超個人的日記ブログです。>
新しい職場は、今までのサロンとは段違いの超絶多忙サロンでした。
中途で入った時期が繁忙期の夏ということもあり、毎日年末か?と思うほどの頭数。
そして、意識や技術、全てのレベルも段違い。。
毎日毎日、その日のことをこなすのに精一杯の日々を送っていました。
そんなある日、仕事中にお店の電話が鳴りました。
「お母さんから電話だよ」
スタッフが私を呼び、受話器を渡します。
嫌な予感がしました。
仕事中に連絡が来るなんて。
きっとCOCOの事だろう…
予感は的中しました。
「COCOちゃん発作が起きて、意識がないんだよ…早めに仕事上がれないかな?」
先代の愛犬COCO(ヨーキー)は、水頭症でした。
水頭症とは、脳を髄液が圧迫し、痙攣などの発作を引き起こす、先天性の病気です。
チワワなど、比較的頭が小さい犬種になりやすいといわれています。
COCOは成犬になってから度々痙攣を起こしていました。
症状からして、水頭症か、てんかんだろうと思いましたが、痙攣はいつも数秒だったので、とくに痙攣を抑える薬を処方してもらわず、様子をみていました。
その後大学病院で精密検査をしてみると、やはり水頭症だと診断されました。
不思議なことに、その検査のあとは一度も発作は起きませんでした。
安心していた矢先…10才を過ぎたこの日、急に大きな発作が出てしまいました。
痙攣は数十分も続いてしまったそうです。
お店のスタッフの配慮で、忙しい土日にも関わらず、いつもより早く仕事を上がらせていただきました。
急いで自宅に帰ると、抱かれたまま、ぼーっと視点があわないCOCOがいました。
なんとか一命はとりとめたものの、痙攣が長かったため、後遺症で眼は見えず、立ち上がり歩くこともできず。
獣医師曰く、おそらく自分が今どういった状況かも分かっておらず、痛みや苦しみも感じていないだろう、とのこと。。
ペースト状のフードならシリンダーから食べ、水もなんとか飲めました。
眼が見えず、意識もあるのかないのか分からない状態なのに、
不思議と今自分が誰に抱かれているかは分かっているようでした。
元々抱かれるのが苦手でいつもジタバタしていたCOCO。
しかし、私が抱くと落ち着き、すやすやと眠りはじめました。
発作から1週間。
毎日一生懸命がんばってくれましたが、最期は苦しまず眠るように、COCOは虹の橋を渡りました。
水頭症で10才以上生きた子は今まで聞いたことがない、とかかりつけの獣医師は言ってくれました。
COCOは本当に良い子でした。
それは最期まで。
発作のときも。
虹の橋を渡るときも。
父の長い長い仙台単身赴任が終わり、こちらへ帰ってきた数週間後、数年ぶりに水頭症の大きな発作が起きました。
発作が出た当日は、家に父と兄が居るときでした。
発作の前日にはCOCOをお留守番させ、親類のお見舞いへ家族で半日出かけていたので、もし発作が前日だったらと考えると。。
一緒にいられた時間はもっと短かく、最期をCOCOひとりで迎えていたかもしれません。
また、虹の橋を渡るときも、家族がみんな休みで家にいるときでした。
私はCOCOのすぐ側で看取ることができました。
父が単身赴任から家に帰ってくるまでは、頑張ろうって思ってくれていたんだろうな。
もう安心だな…って思う、みんなが居る時を、最期に選んでくれたんだろうな。
COCOは私が中学生の頃、たまたま立ち寄ったペットショップで一目惚れして、反対する父を長時間説得し、家に迎えた子でした。
思春期の精神どん底状態の私の前に現れた、一匹の天使。
今までの私の人生を支えてくれた、大切な家族。
あなたがいなければ、今の私はなかったよ。
本当にありがとう。
しばらく辛い毎日を過ごしました。
毎日の職場での激務で凹んでる上、COCOの死。
あまりの傷心ぶりに、トリマー自体を辞めるのではないかと母は思ったそうです。
しかし、私はトリマーを辞める気はありませんでした。
なぜ私がトリマーになろうと思ったのか。
その目標を達成するには、まだまだ努力も経験も足りないと思っていたからです。
そして、もし次に迎える子がいたら、必ず保護犬にしよう、と決めていました。
しかし、なかなか次の子が迎えられませんでした。
父が大反対だったのです。
COCOの大きな発作が起きた際、家に居たのは父と兄だけで、長時間痙攣しているその姿を目の当たりにしたショックは計り知れません。
COCOが亡くなってから、約2年の月日が過ぎていました。
つづく。。
nico dog salon
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